2013年4月15日月曜日

東北への一人旅

 3月の終わり、ちょうど東京の桜の満開に合わせたかのようにぼくは東京に滞在していて、思いもかけないお花見の後(それも毎年楽しんでいた駒場公園でのお花見)、数日の暇があったので東北へ行ってみることにした。東北は旅の途中に通過したことはあるけれど、時間をかけて見たという経験はない。まずは地図を眺めてその大きさと地理から頭に入れないと始まらない。


R-27沿いに建つ民家
2泊3日という短い時間なので、まずは平泉まで走り、遠野で曲り家をいくつか見て、山を越え釜石へ出てから仙台までは海沿いのR-45を南下するという計画。850kmの旅。










 平泉中尊寺。空腹もさておき足早に金色堂へ。教科書にも歴史書にも必ずといっていいほど登場する金色堂のあの写真。すくっと立つ巨木に囲まれたあの佇まいと軒の出、プロポーション、金色堂、金色堂・・・んっ、RC? えっ、ぼくが金色堂だと信じていたものは覆堂だったというのか・・・。RCの覆堂の写真を見てぼくは心躍らせていた・・・。嗚呼、何という恥ずかしき一級建築士。

白山神社能舞台, 1853
気を取り直して白山神社能舞台。こんな大きな屋根を軽々しく支える2本の柱とそこに広がる舞台。抜けてて、透けてて。












人首川と人首集落
遠野へ抜ける道中、ハッとして止まった人首という名の集落。川の方向へ切り妻の倉が建ち並ぶ風景。











南部曲り家千葉家住宅@遠野, 江戸末期
そしてはるばるたどり着いた南部曲り家千葉家住宅。まるで巨大な生き物のようにこちらに迫り来る迫力ある佇まい。そこに山があるみたい。二川幸夫さんの「日本の民家展」を見た後だったので特に興奮せずにはいられない。日本の『木の民家』

 遠野の夜はまだまだ寒く、風も強く、雪がちらつく。くるみもちが美味しい。






遠野ふるさと村

肝煎り家@遠野ふるさと村, 江戸末期
さて次の日、曲り家がたくさん移築されている遠野ふるさと村へ。背景の山と手前の木々と畑と、こういう風景を自然ととけ込んでいると表現するんだろうなあ。家族のように大切に育てた馬と同じ屋根の下で暮らしたいという思いから発展したL型平面の曲り家。馬への愛情が空間への優しさへと繋がる。優しいんだなあ、東北の人たちは。その優しさは曲り家だけではなく、雄大でゆったりとした山々、ゆっくりと流れる川、きゅっと固まった集落やぽつぽつ散らばった家々、そんな風景を見ているとふところの広さと優しさを感じずにはいられない。風土と人の関係かな。


 釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻と津波で大きな被害を受けた地域を通り仙台まで250km。津波の被害はここから北へも、ここから南へも広がっている。ぼくが通過した土地のほとんどはがれきがほぼ片付けられ、まるで造成地かなにかのような土地が広がっている。大きなダンプカーがひっきりなしに通る。


 杜の都仙台は、あのどこまでも延びているアーケードには人が溢れるほどの賑わい。久しぶりに訪れたということもあって、まるで外国にでも来たかのような感覚に陥る。せんだいメディアテークは羨ましく、寿司は美味。

 福山からいうとはるばる1300kmも離れた東北への旅。瀬戸内とは違う風土をいっぱい感じました。

大野どんの曲り家@遠野ふるさと村, 明治初期