2013年4月24日水曜日

廊下の床改修中

廊下の床がぶにゅぶにゅして今にも抜けそうなまま、お客さんには抜き足、差し足、忍び足で歩いてもらうようにお願いして、何とかごまかしごまかしなるべく宙に浮かぶように歩いていたものの、そろそろ限界かな。ついに床貼りを着工しました。

数十年前の合板フローリングは板と板の間に使われてる接着剤が経年劣化により剥がれてきてしまうため、どうしてもこのぶにゅぶにゅ状態になってしまいます。みなさんも経験ある方が多いのではないでしょうか?

床貼り替えの一番簡単な方法としては既存の上から仕上げの材料を直に貼ってしまうことですが、今回は他の部屋との段差をなくすためと、補強の目的もあり、まず下地用の合板を貼ることにしました。もちろん材料はユーホーで購入、自ら搬入!

右側の部分をスリット状に開ける計画
根太の位置を確認しようと既存の床を切ってみると、床下から涼しい良い風が吹いてくる。湿気も感じられないし、臭いもなし。おっ、これは夏に涼風を得られるのではないかと思い、一部にスリットを開けてみることに。ゴキやネズミ、虫たちまでも登ってこないようにネットを張る必要あるが試してみる価値あり。

日本家屋はこの床下の使い方をもっと考えると、古い家でもより快適に過ごせる改修ができるのではないかなということをここ最近考えているのですが。地面まで約50cm、この空間を使って冬には蓄熱をして家の床全体を暖めたり、夏は涼風を取り込んで冷房に使ったり、もちろんへそくりを隠したり、味噌も保存したり。屋根裏もそうですが、床下も開けておくにはもったいない空間です。

さて、今回の仕上げはフローリングを貼るのではなく、安価な合板を貼って塗装で仕上げてみようという計画。色は、素材は、質感は・・・ただ今検討中。

2013年4月15日月曜日

東北への一人旅

 3月の終わり、ちょうど東京の桜の満開に合わせたかのようにぼくは東京に滞在していて、思いもかけないお花見の後(それも毎年楽しんでいた駒場公園でのお花見)、数日の暇があったので東北へ行ってみることにした。東北は旅の途中に通過したことはあるけれど、時間をかけて見たという経験はない。まずは地図を眺めてその大きさと地理から頭に入れないと始まらない。


R-27沿いに建つ民家
2泊3日という短い時間なので、まずは平泉まで走り、遠野で曲り家をいくつか見て、山を越え釜石へ出てから仙台までは海沿いのR-45を南下するという計画。850kmの旅。










 平泉中尊寺。空腹もさておき足早に金色堂へ。教科書にも歴史書にも必ずといっていいほど登場する金色堂のあの写真。すくっと立つ巨木に囲まれたあの佇まいと軒の出、プロポーション、金色堂、金色堂・・・んっ、RC? えっ、ぼくが金色堂だと信じていたものは覆堂だったというのか・・・。RCの覆堂の写真を見てぼくは心躍らせていた・・・。嗚呼、何という恥ずかしき一級建築士。

白山神社能舞台, 1853
気を取り直して白山神社能舞台。こんな大きな屋根を軽々しく支える2本の柱とそこに広がる舞台。抜けてて、透けてて。












人首川と人首集落
遠野へ抜ける道中、ハッとして止まった人首という名の集落。川の方向へ切り妻の倉が建ち並ぶ風景。











南部曲り家千葉家住宅@遠野, 江戸末期
そしてはるばるたどり着いた南部曲り家千葉家住宅。まるで巨大な生き物のようにこちらに迫り来る迫力ある佇まい。そこに山があるみたい。二川幸夫さんの「日本の民家展」を見た後だったので特に興奮せずにはいられない。日本の『木の民家』

 遠野の夜はまだまだ寒く、風も強く、雪がちらつく。くるみもちが美味しい。






遠野ふるさと村

肝煎り家@遠野ふるさと村, 江戸末期
さて次の日、曲り家がたくさん移築されている遠野ふるさと村へ。背景の山と手前の木々と畑と、こういう風景を自然ととけ込んでいると表現するんだろうなあ。家族のように大切に育てた馬と同じ屋根の下で暮らしたいという思いから発展したL型平面の曲り家。馬への愛情が空間への優しさへと繋がる。優しいんだなあ、東北の人たちは。その優しさは曲り家だけではなく、雄大でゆったりとした山々、ゆっくりと流れる川、きゅっと固まった集落やぽつぽつ散らばった家々、そんな風景を見ているとふところの広さと優しさを感じずにはいられない。風土と人の関係かな。


 釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻と津波で大きな被害を受けた地域を通り仙台まで250km。津波の被害はここから北へも、ここから南へも広がっている。ぼくが通過した土地のほとんどはがれきがほぼ片付けられ、まるで造成地かなにかのような土地が広がっている。大きなダンプカーがひっきりなしに通る。


 杜の都仙台は、あのどこまでも延びているアーケードには人が溢れるほどの賑わい。久しぶりに訪れたということもあって、まるで外国にでも来たかのような感覚に陥る。せんだいメディアテークは羨ましく、寿司は美味。

 福山からいうとはるばる1300kmも離れた東北への旅。瀬戸内とは違う風土をいっぱい感じました。

大野どんの曲り家@遠野ふるさと村, 明治初期

幼なじみの看板屋さん

 福山は生まれ育った街なので工務店も屋根屋さんも設備屋さんも大工さんも、ほとんどの業種に同級生がいる。だから何かあるとまずはその友だちを頼ってお願いすることになる。大人になって一緒に仕事ができるなんてとてもうれしいことだし、昔遊びに行ってたお家や会社におじゃまするのも懐かしくて楽しい打合せなのだ。

 そんな同級生の中に小学校の頃から一緒にサッカーボールを追いかけた幼なじみの看板屋さんがいる。彼はぼくの周りでは珍しく絵を描くのが好きで、美大に進み、大学時代には展覧会のお祝いに青春十八切符を片手に駆けつけたこともあるし、ぼくの写真展のときには看板を描いてもらったこともある。もう30年以上の付き合いになるのかな。

 今日は外装のリフォームをお手伝いしたマンションの看板をお願いしに行く。チェッカープレートの階段と大きな作業台、万力、各色そろったカッティングシート。わくわくする空間。

 ちなみに今回は仕事を依頼してくれたのも高校の同級生。こうして友だちの輪がどんどん大きくなったり、たくさんできたりして、そこにいろんな重なりが発生していくと繋がりはますます広がる。福山市は人口46万人ほどの都市ではあるけれど、一人を介せばほぼだいたい繋がる関係ができてしまうという、大都市にはできない地方都市ならではの関がを築けるのも面白いことだなあ。

2013年4月8日月曜日

ただいま営業活動中

東京から広島県の福山市に移動し、ちょうど10ヶ月。はじめてむかえる春の季節。花が咲き、木々が芽吹き、鳥たちはさえずり、何と気持ちのよいことか。吐く息も凍るようなあの冬から脱出した喜び。

 しかししかし、ぼくの仕事の方は春爛漫と喜んでばかりはいられない状況なのです。設計の依頼がいくつかあり、よし来たっと意気込むものの、いつの間にか消え、また来たっとさらに意気込んだらまた消え・・・、ここはぼくの故郷なのだから誰かが仕事を任せてくれるはずと呑気に待ってるだけではがいけなかった。東京で設計事務所をしていたぼくに福山からわざわざ設計を依頼してくれた友たちは何とありがたかったことなのか。

 ここは東京ではない。まだまだ設計するという仕事そのものが知られていないし、設計事務所の役割も分かってないし、そもそも設計事務所に設計を依頼するということがほぼ選択肢にないような場所。そうか、そうだった、まずはそこから始めなければいけなかったのか。

 ということで一人でも多くの人にぼくの存在、青山修也建築計画の存在を知らせるためにチラシをつくりました。

●設計事務所=高い、偉そーなのではなく、金銭面では施主の味方となってコントロールできるし、楽しく一緒に設計もできるのです。

●素材やエネルギーのことに付いても、溢れる数あるものの中から何を選ぶべきなのか一緒になって考えていきましょう。

 大きな建物や新しい建物を設計するのはもちろんわくわくしますが、小さな設計やリフォームをいっぱいやって、たくさんの幸せをまき広めるというのも建築家としての満足度からいうと気持ちよい仕事なはずです。


 せっかくのこの美しき瀬戸内地方の住環境を少しでも快適にしていきたいと動きはじめています。